もう 飼えないから ☆ [ペット]
Kenとお散歩をしていると、犬だけではなく色んな人と出会います。
犬好きな人、犬を飼っている人、犬を飼っていた人・・・・
そして、その人達はKenを見て微笑みながら通り過ぎるか、少しだけ手を差し伸べて語りかけ通り過ぎる。
どうしても、Kenと話したくなる人は私の方を向いて話をはじめてくる。
今日は、あるおばあさんがお買い物へ行く途中だったのだと思いますが、歩く足を止めてボォ〜と立っていたKenを見て、話しかけたくなったようです。
その人は、以前犬を飼っていたということで、やっぱり犬が好きなんですね。
19歳とちょっと生きたということです。
何年前に亡くなったのかは知りませんが、1月3日に亡くなったそう。
お正月という事で、火葬場がお休みで大変だったといってました。
亡くなる前には、食事も出来なくなり点滴をするため病院から先生に往診して頂いていたそうで、「頑張れ!頑張れ!」って励ましていたら、病院の先生は「頑張れと言わなくても、十分ワンちゃんは頑張っているんですよ。19歳と言ったら人間では100歳になっているんですからね。」と言われて、それから「頑張れ」を言うのやめたそうです。
その後、四十九日の間は家に置いておくつもりだったらしいのですが、庭で放し飼いをしていたのでわんちゃんの姿が見えなくなったことで、近所の方から「太郎ちゃん(わんちゃんの名前)、どうしたの。」と聞かれ、亡くなった事を話すとみなさんお骨がまだあるとわかると「お線香を・・・・」といってくださり、その度に太郎ちゃんの話をしなくてはならず、泣いてばかりいたらご主人が「このままでは、お前の体がダメになる」と言って、四十九日になる前に納骨をしてしまったという話をし、Kenに「あなたは、まだまだ若いからゆっくりと楽しく暮らしなさいね。」と言ってくれました。
時々、この様に大切なわんちゃんがなくなったお話を聞きますが、話の最後に必ず言うのが「寂しいけれど、もう飼う事できないでしょ?」と言われます。
この「もう、飼う事できないでしょ」を聞くと、私はすごく胸が痛く悲しい気持ちになります。
いずれ私も「もう、飼えないでしょ」の言葉を言う時が来ます。
確かに、自分が年老いて行けば犬を飼うというのは、体力も無くなりますから自分の気持ちだけで飼う事はできません。
分かっている事です。
でも・・・・
これからが、本当にわんちゃんとの生活が必要になる時期なのではないでしょうか。
今は、一人暮らしのお年寄りも多くなっています。
外へ出なければ、人と関わることもしくなくなれば会話をする相手もいない。
そんな時、動物がいたら・・・・
元々犬が好きで、犬を飼った事がある人ならば、きっと犬がいてくれたら生活に活気がでるのではないでしょうか。
私の母は、三年前に父がなくなり今一人暮らしをしています。
とても気の強い母でしたが、父が居なくなって初めて自分が好きな事が出来たのは、父という存在がいてくれたからと、最近わかってきた様ですが、その父が居ない事ですごく寂しさを実感する様になり、犬を飼いたいと思ったようですが、自分の年を考えたら無責任に犬を飼う事が出来ないと諦めています。
私は、母に「犬を飼いたいなら買ってもいいんじゃない? もしお母さんが居なくなった時は、私が育てるから。」と言ったのですが、何でも中途半端が嫌な母は「やり残して死ぬのは嫌だ」と言って、今はふくろうのお人形に毎日話しかけています。(その姿を見るのは、結構辛いです)
このふくろうは、目の前を通ると「ホーホー」鳴くんですが、父はこのフクロウが嫌いで母に黙ってスイッチを切っていたんです。
母は、鳴かなくなったフクロウが壊れたのかと思っていた様でしたが、ある日スイッチが切ってあった事に気付き、今スイッチをオンにして話をしているんです。
父は、きっと苦笑いしていると思います。(^^;)
話が反れました。
最近テレビで知ったのですが、今「もう 飼えない」と諦めているお年寄りでも、わんちゃんを飼える様に、年を取って動けなくなった時、飼い主さんに代わって育てて下さる所があるとか。
代わりに育ててくださる所があれば、少なくても動けるうちはギリギリまで大好きなわんちゃんと生活が出来るので寂しい思いをしなくて済むかもと思ったのですが・・・・
でも、これも「商売」なんですよね。
大切な我が子を、自分に代わって育ててくれる方がいれば嬉しいけれど、自分が亡くなった後その子が本当に幸せに暮らせるか分からず、見届けられないというのは、やっぱり無責任ですよね。
結局、「もう、飼えないでしょ」というしかないんですよね。
寂しいですね。(- -)
犬好きな人、犬を飼っている人、犬を飼っていた人・・・・
そして、その人達はKenを見て微笑みながら通り過ぎるか、少しだけ手を差し伸べて語りかけ通り過ぎる。
どうしても、Kenと話したくなる人は私の方を向いて話をはじめてくる。
今日は、あるおばあさんがお買い物へ行く途中だったのだと思いますが、歩く足を止めてボォ〜と立っていたKenを見て、話しかけたくなったようです。
その人は、以前犬を飼っていたということで、やっぱり犬が好きなんですね。
19歳とちょっと生きたということです。
何年前に亡くなったのかは知りませんが、1月3日に亡くなったそう。
お正月という事で、火葬場がお休みで大変だったといってました。
亡くなる前には、食事も出来なくなり点滴をするため病院から先生に往診して頂いていたそうで、「頑張れ!頑張れ!」って励ましていたら、病院の先生は「頑張れと言わなくても、十分ワンちゃんは頑張っているんですよ。19歳と言ったら人間では100歳になっているんですからね。」と言われて、それから「頑張れ」を言うのやめたそうです。
その後、四十九日の間は家に置いておくつもりだったらしいのですが、庭で放し飼いをしていたのでわんちゃんの姿が見えなくなったことで、近所の方から「太郎ちゃん(わんちゃんの名前)、どうしたの。」と聞かれ、亡くなった事を話すとみなさんお骨がまだあるとわかると「お線香を・・・・」といってくださり、その度に太郎ちゃんの話をしなくてはならず、泣いてばかりいたらご主人が「このままでは、お前の体がダメになる」と言って、四十九日になる前に納骨をしてしまったという話をし、Kenに「あなたは、まだまだ若いからゆっくりと楽しく暮らしなさいね。」と言ってくれました。
時々、この様に大切なわんちゃんがなくなったお話を聞きますが、話の最後に必ず言うのが「寂しいけれど、もう飼う事できないでしょ?」と言われます。
この「もう、飼う事できないでしょ」を聞くと、私はすごく胸が痛く悲しい気持ちになります。
いずれ私も「もう、飼えないでしょ」の言葉を言う時が来ます。
確かに、自分が年老いて行けば犬を飼うというのは、体力も無くなりますから自分の気持ちだけで飼う事はできません。
分かっている事です。
でも・・・・
これからが、本当にわんちゃんとの生活が必要になる時期なのではないでしょうか。
今は、一人暮らしのお年寄りも多くなっています。
外へ出なければ、人と関わることもしくなくなれば会話をする相手もいない。
そんな時、動物がいたら・・・・
元々犬が好きで、犬を飼った事がある人ならば、きっと犬がいてくれたら生活に活気がでるのではないでしょうか。
私の母は、三年前に父がなくなり今一人暮らしをしています。
とても気の強い母でしたが、父が居なくなって初めて自分が好きな事が出来たのは、父という存在がいてくれたからと、最近わかってきた様ですが、その父が居ない事ですごく寂しさを実感する様になり、犬を飼いたいと思ったようですが、自分の年を考えたら無責任に犬を飼う事が出来ないと諦めています。
私は、母に「犬を飼いたいなら買ってもいいんじゃない? もしお母さんが居なくなった時は、私が育てるから。」と言ったのですが、何でも中途半端が嫌な母は「やり残して死ぬのは嫌だ」と言って、今はふくろうのお人形に毎日話しかけています。(その姿を見るのは、結構辛いです)
このふくろうは、目の前を通ると「ホーホー」鳴くんですが、父はこのフクロウが嫌いで母に黙ってスイッチを切っていたんです。
母は、鳴かなくなったフクロウが壊れたのかと思っていた様でしたが、ある日スイッチが切ってあった事に気付き、今スイッチをオンにして話をしているんです。
父は、きっと苦笑いしていると思います。(^^;)
話が反れました。
最近テレビで知ったのですが、今「もう 飼えない」と諦めているお年寄りでも、わんちゃんを飼える様に、年を取って動けなくなった時、飼い主さんに代わって育てて下さる所があるとか。
代わりに育ててくださる所があれば、少なくても動けるうちはギリギリまで大好きなわんちゃんと生活が出来るので寂しい思いをしなくて済むかもと思ったのですが・・・・
でも、これも「商売」なんですよね。
大切な我が子を、自分に代わって育ててくれる方がいれば嬉しいけれど、自分が亡くなった後その子が本当に幸せに暮らせるか分からず、見届けられないというのは、やっぱり無責任ですよね。
結局、「もう、飼えないでしょ」というしかないんですよね。
寂しいですね。(- -)
2012-02-10 15:30
nice!(9)
コメント(4)
トラックバック(0)








ペット・ロスは、恢復までに数年かかりますね。
ポピーが最後になるでしょう。でも、同じお墓に入れるので、ホッとしています
by okko (2012-02-10 15:57)
okkoさん
すみません。
書き込み保存するつもりがUPしてしまっていた様で、もしかしたら話が途中になっていたたかもしれません。(^^;)
ペットロスは、どうにもならないですよね。
その方、初めてあった私と話ながら涙を浮かべていました。
今は、ペットと一緒に埋葬出来るところが増えて来ましたが、okkoさんもそうなんですか。
私も、そうしたいのですが、多分私が入るお墓は無理だと思います。
でも、私が入る予定?のお墓の近く(道路を挟んだ反対側)に、偶然ペットの霊園があって、高台にあるその霊園にKenを埋葬するつもりなので、Kenはいつもママのお墓を見下ろす形になり寂しくないかなと思っています。
by Mie (2012-02-10 17:04)
私もメグがいなくなったらどうしようと思います。
老いてからは責任を持って飼えるかどうかわかりませんし、犬の寿命と自分の
ことを照らしてみれば難しいかな~なんて考えてしまいます。
今ならもう1匹飼えるかもしれないし、今までも2匹が常にいたから飼いたいとは思っています。
問題はメグがりりーちゃんの看病で寂しい時間をすごした後、1匹になって
超甘えん坊になってしまったからです。
でもそれはりりーちゃんを亡くした寂しさから、溺愛した私にも責任があります。
ほしいと思う反面、主人が入院したときなど留守番が多くて可哀想な事もしました。
これからは歳をとるほどそういうことも増えてくるかもしれません。
難しい問題ですね。
by メグちゃん (2012-02-10 22:00)
メグちゃんさん
どんなに犬と暮らしたくても、タイムリミットがあるんですね。
タイムリミットは、犬を飼うという事だけではなく、いろんな場面にあるわけですが・・・・
動物を飼えなく理由には、老いだけではなく病気などどうにもならない理由もあるわけですが、飼い主自身が老いて生きられる時間が迫って来ている為に飼えないというのは、病気で飼えないという理由よりも(比較にはならないですが)悲しく辛いです。
「もう、飼えないでしょ」の言葉として連想する事が「死ぬ」という言葉とその人の旅立ちを想像してしまうんです。
メグちゃんさんは、病気のわんちゃんの看護の経験、看護に気持ちが重視される事で、我慢させてしまったメグちゃんへの思い、ご主人の入院でやはり寂しい思いをさせてしまったメグちゃんへの思い・・・・
沢山の思いを抱えていると、やっぱり最期まで犬と共に過ごす事へ躊躇しますよね。
自分の事だけを考えるならば、私は最期まで犬と共に過ごし、私がいなくなった後、娘に犬の最期を看取って欲しい。
でも、きっと「もう、飼えないでしょ」になると思いますが・・・・
by Mie (2012-02-11 11:50)